人の不幸は蜜の味とか嘘やろ! 

人の不幸は蜜の味

 

 

そんな言葉が日本にはあるが、世界ではどうなのだろうか。

少し調べてみたら、ドイツ語にはあるらしい。

 

Schadenfreude (シャーデンフロイデ)

ドイツ語で、「他人の不幸を喜ぶ気持ち」を指す。英語には該当する語がないため、そのままドイツ語を使っている。

 

 

脳科学的に人の不幸で自身の幸福度が上がるという実験もあったそうなので、なるほど本当のことなのかもしれない。

 

 

 

 

 

先日リトアニアに行って来たのだが、あまりにも幸福の瞬間が街にあふれていて、自分自身がめちゃめちゃ幸せを受け取って、深呼吸をめちゃめちゃした。

 

 

 

 

 

幸福の瞬間って不幸の瞬間より人を幸せにすると思うのです!

 

 

 

 

 

 

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例えばこの写真。

 

 

 

日曜日の朝。

 

 

おじいちゃん達は釣りをしていて、キラキラ光る湖面を見つめていた。

 

お互いに違う場所でやっていたけど、移動して二人で一緒に釣りをすることになった。

一人より二人の方がいいよね。

 

犬はおじいちゃんにとても懐いていて、賢くおじいちゃんの後を追い、湖畔でのんびりとしている。きっと一緒に暮らして長いんだろう。

 

 

彼らはソビエト時代も経験しているから、こういった時間を容易に得られたわけではない。独立して平和な今は、のんびりと釣りをしている。それができる。

 

 

 

幸せな朝だ。

 

 

 

 

 

 

一方親子3人組は、公園に散歩に来ていた。

 

湖にいるカモの鳴き声に合わせて「ぐわっ」と真似をする弟と、

いろんなものに興味津々・うろうろあたりを歩き回っているお姉ちゃん。

 

お母さんは二人の子供の後を追う。

 

 

 

二人の子供を持ち、下の子も歩けるようになったから、お母さんはベビーカーなしで散歩に来れるようになった。

 

 

途中泣き出す弟をあやすお母さんに、お姉ちゃんはちょっと嫉妬しちゃうのかもしれない。だけどもうすぐ一緒にかけっこして遊べるね。

 

 

 

 

この一枚、切り取られた1枚に色々な人のストーリーが詰まっている。

 

日曜の朝、のんびりとした湖畔のひと時、なんて幸せなのだろう。

 

 

 

 

特に彼らと話はしていないけど、おそらく休日の幸せを吸収しているみんなの姿を見ながら私はとても幸せな気分になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

この写真。

 

 

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カップルがカフェでお茶をしているのだが、カフェの横のウエディングドレスが道を彩っている。

 

 

お互い違う方向を向いているが、もしかしたらこのウエディングドレスをちょっとでも意識しているんじゃないだろうか?

 

結婚をもしお互い考えていなかったらちょっと目に毒だけど、もし結婚を控えていたら二人の心にはどんな気持ちが湧いて来ているんだろう。

 

 

男性の口角が少し上がっていて、なにを考えているのか、未来を考えていたら素敵だなあなどと勝手に考える。

 

 

 

 

 

街には幸せが溢れている。

 

というより、考えようによっては全部幸せに働いていくのかもしれない。

 

 

 

 

先日会った認知科学の研究者の人は、「現在は過去の連続の中でしか起こらなくて、今を不幸だと捉えるのは全て過去の不幸な記憶を自分の中で連続させて今を認識しているからなのだ」と言っていた。

 

 

 

これらの写真の状況も、私が想像したようなものではないかもしれない。

 

 

 

 

けど、やっぱり私は幸せだと感じたし、幸せを見て幸せになれるタイプらしい。

 

 

 

 

人の幸福が密でしかない

 

 

 

 

そういったところでしょうか。