バルトに会いに行っても

こんにちは。

 

今日はバルトに会いに行った帰りです。

 

 

 

 

 

 

バルトっていうのは、元大関把瑠都さん。

相撲界においては有名だし、そうじゃなくてもバラエティとかドラマに出ていたので、そこまで知らない人はいないんじゃないかと思う。調べてみたら、オフィス北野に所属していた。最近では、ドラマで佐藤隆太さんと共演していたようである。

 

 

 

 

私の祖母は相撲好きでよく見ていたので、リビングで「把瑠都ー!」とか言っていた事を思い出す。

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(現役時代の把瑠都

 

 

まあそんな昔話はさておいて、5月12、13と1泊、バルトの経営している宿に泊まって来た。

タリンから車を120キロで走らせて約1時間半。

 

 

バルトとバルトの兄ちゃんが待っている宿に着き、池に落ちたりボートを漕いでまた落ちたりしながら夜はバルトとBBQをして、少し早く起きた朝は散歩・湖畔でストレッチしたのちにバルト嫁の朝ご飯を食べ、息子と猫と少し戯れ、広い家と庭を見せてもらったのちにバルトの要らないガジェットを引き取って来た(wifiルーターとか液晶パネルとか)

 

バルトに暮らしていながら、ここまでバルトに溢れた週末は初めてだ。

 

彼の話やらを聞き、大豪邸にお邪魔させてもらう事で、また私は「幸せって何かなあ」と考えていた。

 

 

 

 

彼は日本から帰って来て約1週間。

 

「疲れた」

 

 

と愚痴をこぼしていた。

 

 

 

 

 

 

 

狭苦しい東京。

 

行きたくもない付き合いの飲み会。

 

先輩後輩というカルチャー。

 

年金という、将来の投資とは思えないいわば退職世代へのサポート金。

 

制度も現場も改善の余地ばかりの教育環境。

 

 

 

 

彼はエストニアの、その田舎の暮らしとは真逆の雑多な街東京で14年を過ごし、エストニアに帰るという選択を取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここにいると、幸せの定義みたいなもんはよくわからなくなってくる。

 

ヨーロッパの人の夏の休暇に対するコメントを聞いていたり、子育ての様子を見ていたり〜ここで生きている日本人の話を聞いても、それまで生きて来る中でなんとなく形成されて来た「こうしたら幸せになれそう(ex.高学歴とか)」的な考えは意図も簡単に変化していく。変化まではしなくとも、完全それとは思わせない、何か。

 

 

 

 

今の所自分の見解としては、全ては自分の周りの環境。

 

 

いくらお金を手にしても、いくらいいポジションになっても、何をしても環境が自分で納得できなかったらすごく不幸せだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

初めて池におちて泳いだし、朝から朝日を浴びてストレッチをしたし、今日は高い気にも登った。

 

 

バタバタしていて忘れていた子供の気持ちが、すごく戻って来た。

 

いい感じ。

 

 

それにしても今日も恋人に会いたい。